生きよ、深夜にラーメンを啜れ

最近暗いニュースばかりで、いよいようつがひどくなってきた。早朝覚醒はしなくなったが、このタイミングで生理までやってきて過眠がひどい。感染拡大は止まらず外に飲みにも行けないし、相変わらず論文執筆は進まない。

しかし悪いことばかり考えていても何にもならぬ。少しばかり生産的(!)なことをしようと考えて、というか単に空腹になったので、深夜にラーメンを作るのに最近はまり出した。大したラーメンではない、サッポロ一番の塩らーめんだ。

 

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マルちゃん正麺かと思っていたら違った。しかしまあどちらでもこだわりはない。


ラーメンは奥が深い、というが、わたしの作るラーメンはそんなものとはほど遠く、ほんとうにシンプルな素ラーメンだ。ネギも何も足さず、麺の上に乗っているのは付属の切りごまだけ。この切りごまがおいしい。ややもすれば単なる塩味になってしまうスープに、優しさと風味を与えてくれる。それをずるずる、外では出さないような大きな音をさせて啜る。

考えてみれば、安価で手頃なインスタントラーメンはいつも、少しだけ特別な食べ物だった。食べすぎれば体にあまり良くないせいか、家族はあまりわたしにインスタントラーメンを食べさせなかったように思う。ましてや深夜になど、考えるまでもないことだ。

しかし大人になった今、実家暮らしという制約はあるが、わたしは好きなだけラーメンを食べることができる。しかも野菜も何も乗せないで、思いっきり不健康に。そうそう、とわたしは思う。留学中、一人暮らしをしていた頃もこうしてたんだった。大きなどんぶりが手に入らなかったので、鍋から食べていたっけ。外国暮らしはとても大変だったけど、日本のともだちが送ってくれたラーメンを啜るひとときは、どこか安心して幸せだった。

こんなことを思いながらラーメンを啜るとき、なんとなく啜るという行為に一生懸命になってしまって、悲しいことや不安を少しだけ忘れられる。喉まで詰まった悲しみも、塩辛いスープで打ち消してしまえるような気がする。インスタントラーメン一杯を食べて一日を終えることができれば、人生オールオッケーという気さえする。

明日まで生きよう、と深夜に思う。今夜は死なないで。だって司法解剖をされて、胃からラーメンがたくさん出てきたら、ちょっと笑えるじゃないか。

むかし、短歌をはじめたばかりのころ、「アイドルの歌をバックに聴きながら生きているからラーメン啜る」という歌を詠んだ。今いるのはラーメン屋でもないし、アイドルの歌は聴こえてこないが、そこにあるのはいつもよりにぎやかな静寂だ。生きよ、深夜にラーメンを啜れ、そう格言のようにつぶやいて、少し愉快になる。