(たぶんありふれた)呪いのはなし

長いこと、文章を書かないでいた。このブログもほったらかしだったし、修論も、こっそりつけている紙の日記も書いていない。制限字数にも満たないTwitterの呟きがせいぜいだった。

 

とくに理由があったわけでもない。強いていうなら秋からはじめたアルバイトをこのあいだ辞めて(半分以上クビになったようなものだ)、修論は提出できずふたたび休学し、まあいろいろと限界だったのかもしれない。この期間、なんだかずっと焦っていた。

 

焦っていた、というのがいちばん的確だ。わたしはもうすぐ26歳になるのだが、勝手に「この年齢ならこうなっていなくては」というのを持ち出して、ずっと焦っている。修士課程くらい出ていなくては、就職くらいしていなくては、恋人くらいいなくては、自分のセクシュアリティを理解していなくては。等々。

 

そんなに自分に呪いをかけなくてもいいよ、と自分でも思うし、そう言ってくれる人間も周囲にいるのだが(本当に足を向けて寝られません)、彼らにはありがとうと言いつつ、内心、でもあなたは修論も出してるし就職もしたことあるし恋人やパートナーもいるじゃないですか、とこうなってしまう。非常にまずいのだ(ちなみに、これは去年ひとに言われて自覚したのだが、わたしは「だれかとパートナーになりたい」という願望が強いらしい。別に恋愛でも友情でもその他でも構わないけれど、モノアモリー的関係とか、「親友」とかに弱い。さいきんは阿佐ヶ谷姉妹にすら「いいなあお互いがいて」と嫉妬している)。

 

阿佐ヶ谷姉妹への感情も含めて、それはわたし自身のやっかみだと100パーセント理解しているのだけど、どうしたらいいのか皆目検討がつかない。30代になったら楽になるみたいなことを時々聞くが、それまでこの苦しみは続くのだとしたら、そこまで生きのびる自信もあまりない。なんとかしてパートナーを見つけたりして、「こうなっていなくては」をクリアすればいいのかもしれないけれど、それは根本的な解決にはならない気がする。

 

たぶん、解けてしまえば簡単な呪いなのだろう。でもまだ解けない。明日には解けるかなあ、と思いながら、わたしは26歳になってゆく。