早朝覚醒と書くこと

とうとうあきらめて布団から起き上がり、最小限部屋の電気をつける。一応トイレに行き、アトピーで痒い体に薬を擦り込み、台所で水を飲む。眠気はまだやってこない。

早朝覚醒だとは思いたくなかった。例えば寝る前に水を飲みすぎたからだとか、喉が乾いたからだとか、そんな理由で目が覚めたのだと思いたい。もしかしたら昨日から降り続く雨の音が神経に障ったのかもしれないし、体が痒かったからかも。

と、どんなに言い訳したところで、まだ眠くならない。きっとこれは早朝覚醒だから。

 

早朝覚醒は苦手だ。うつ病の症状なんて、どれも苦手といえば苦手なのだが、わたしに取ってはこれが一番堪える気がする。多分、そもそも眠れないことの次くらいに。

うつ病患者のほとんどが睡眠障害を訴えると言われているが、わたしはどちらかというと不眠より過眠の方で、一日12時間とか平気で寝てしまう。不眠になるのはうつが相当ひどいときくらいだ。だから、余計に入眠障害とか早朝覚醒がおそろしい。

しかし、だ。今日のわたしは少し違う。いつもなら延々と布団の中で朝が来るのを待つのだが、今のわたしにはブログがあるではないか。

薄暗い部屋の中でマックブックを開く。パアア、と効果音でも聞こえてくるような、眩しい光が画面から照射して、わたしのぼんやりとした顔を照らす。わたしの指はすでに動き始めて、Wordの画面を開いている。それがとても自然な行為であるかのように。

 

早朝覚醒は孤独な症状だ。朝が来てカラスがどこかで鳴いているのに、ちっとも心が動かないし、Twitterのタイムラインも止まっているし、流れてくるのは海外のアカウントくらい。白んでゆく空も疲れた目には痛々しく映る。まるで自分ひとりが新しい日の波に乗り損ねてしまったような気になる。

でも、考えてみれば、と、文字を打ち出しながら思う。書くことだって孤独なのだ。こんな早朝覚醒をしましたという文章を書いたところで、誰が読んでくれるのかもわからない。ネットの大きな大きな渦に飲み込まれて、なんの救いにもならないかも。それでもわたしが書いているのは、孤独で孤独を相殺しようとする試みなのかもしれない。

書くことは、ここにいるよ、と小声で言うような行為だ。朝早くに目が覚めてしまったひと、一晩中まんじりとも眠れなかったひと、似たような人間がここにいますよ。もしかしたら日中は家族の目があるから書きにくい、というひとも、似た人間がここにいます。

それはたぶんわたしが欲しかったことばなのだろう。

新しい日が来るのがうれしい、いつの日か、そんな明け方を迎えられたら。