本が読めない大学院生の自己紹介

本が読めない。それもここ数年ずっと。

なんとか文字を辿ることはできるのだが、まとまりとして内容が頭に入ってこないし、少し読んだだけで疲労困憊してしまう。ようやく読めても、なにが書かれていたのかと聞かれれば困ってしまう。線を引き引き、というかどこが重要なのかよくわからないので頁を線ばかりにして、ようやく筆者の言いたいことを掴むことができる。

致命的だ。だって大学院生なので。

わたしは都内の大学院に所属する20代だ。自信満々で学部の卒論を書き上げ、それなりに高い評価ももらい、難関と言われる大学の院試をクリアして修士課程に進学した。と、思ったらうつ病になった。

正確には院試の頃にはすでにうつだったのだと思う。謎の頭痛に悩まされ、体は重く、精神的にはいつも追い詰められていた。これは別の機会に書くこともあるだろうが、院への進学は両親に反対されていたので、自分の真剣さを証明するためにもわたしは合格するしかなかった。第一志望に合格して、授業が始まった二週目ごろには、起き上がれなくなっていた。内科や循環器内科(心臓あたりに痛みと動悸があったので)を行脚して、心療内科で診断を受けたのはその後、五月も終わりになってからだ。

うつ病の症状の一つに集中できない、というのがある。わたしも例に漏れず、教員の言っていることが理解できなくなったり、本が読めない、考えがまとまらないといった症状に悩まされるようになった。

それが2年前のこと。その後わたしは休学を経て、今は大学に戻っている。わたしの所属する大学院では、修士課程は最大でも3年で卒業しなければならないので、卒業まであと一年を切った。そろそろ修士論文にも取り掛かる時期だ。

このブログは、そんなわたしのリハビリ記録だ。幸い当初に比べればうつ病は良くなってきている(寛解というらしい)が、まだ本を読むのには骨が折れる。映画も長いものは集中して見ていられない。

でも論文を書くには(当たり前だが)本や論文を読まねばならない。英語のものもだ。イギリスをフィールドにしてしまった自分が憎い。が、あと半年、どうしたって(というわけでもないが、やはりできるだけ)修論を書き上げて、卒業しなければならない。

ブログを始めたのは、ものを書く練習をするためでもある。そんなに切羽詰まっているならブログどころじゃないだろう、という声も聞こえてきそうだが、今のわたしにはこういった場が必要なのだ。自由に書き、考え、かつある程度公の視線に耐えうるものを書くことが。

それに、たとえ修論を書き上げられずにわたしの身に何かがあったとしても、わたしの書いたものがどこかに残るというのは、少なからず安心ではないか。却って不安材料にもなるかもしれないが。

これはそんなうつ病大学院生の、ぐるぐるとした思考のちょっとした一片だ。ときどき暗い話もするかもしれない。あとは詩や短歌の話、セクシュアリティの話もできたらなあと思っている。もしよければ、よろしくおつきあいください。